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クリスティアン・ウルリヒ1世 (ヴュルテンベルク=エールス公) : ミニ英和和英辞書
クリスティアン・ウルリヒ1世 (ヴュルテンベルク=エールス公)[くりすてぃあんうるりひ1せい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
テン : [てん]
 【名詞】 1. 10 2. ten 3. (P), (n) 10/ten
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [こう]
  1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate

クリスティアン・ウルリヒ1世 (ヴュルテンベルク=エールス公) : ウィキペディア日本語版
クリスティアン・ウルリヒ1世 (ヴュルテンベルク=エールス公)[くりすてぃあんうるりひ1せい]
クリスティアン・ウルリヒ1世(Herzog Christian Ulrich I. von Württemberg-Oels, 1652年4月9日 エールス - 1704年4月5日 エールス)は、シレジアヴュルテンベルク=エールス公
ヴュルテンベルク=エールス公ジルフィウス1世ニムロートとその妻でエールス公カール・フリードリヒ1世の娘エリーザベト・マリーの間の第4子、三男として生まれた。1669年、長兄のカール・フェルディナント(1650年 - 1669年)が死去したためにベルンシュタット公国を代わりに相続した。1697年に次兄のジルフィウス・フリードリヒが嗣子の無いまま死ぬと、ベルンシュタットを甥のカールに譲り、自らはエールス公領およびユリウスブルクメツィボルトレプニッツの所領を受け継いだ。
1698年、ザンクト・ヨハンネス城(Schloss- und Hofkirche St. Johannes)内の宮廷教会に公爵家の墓廟を増築したほか、エールス城(Schloss Oels)に貴重な美術品と書物のコレクションを築き上げた。また1685年にザクセン貴族のプリットヴィッツ家Prittwitz)からノイドルフ(Neudorf)の所領を買い上げ、1692年までに7年をかけてバロック様式の城館と村を建築した。城の名前は2番目の妻ジビュレ・マリーに因み、ジビュレノルトと名付けられた。1704年に死去し、自らが建立した公爵家霊廟に埋葬された。
== 子女 ==
1672年3月13日にベルンブルクにおいて、アンハルト=ベルンブルク侯クリスティアン2世の娘アンナ・エリーザベト(1647年 - 1680年)と最初の結婚をした。夫妻は間に7人の子女をもうけた。
*ルイーゼ・エリーザベト(1673年 - 1736年) - 1688年、ザクセン=メルゼブルク=ラウフシュタット公フィリップと結婚
*クリスティアン・ウルリヒ(1674年)
*レオポルト・ヴィクトル(1675年 - 1676年)
*フリーデリケ・クリスティーネ(1676年)
*ゾフィー・アンゲリカ(1677年 - 1700年) - 1699年、ザクセン=ツァイツ=ペーガウ=ノイシュタット公フリードリヒ・ハインリヒと結婚
*エレオノーレ・アモーネ(1678年 - 1679年)
*テオドージア(1680年)
1683年10月23日にドーバールークにおいて、ザクセン=メルゼブルク公クリスティアン1世の娘ジビュレ・マリー(1667年 - 1693年)と再婚し、間に7人の子女をもうけた。
*クリスティーネ・マリー(1685年 - 1696年)
*クリスティアン・エルトマン(1686年 - 1689年)
*エレオノーレ・ヘートヴィヒ(1687年 - 1688年)
*ウルリーケ・エルトムーテ(1689年 - 1690年)
*カール・フリードリヒ(1690年 - 1761年)
*クリスティアン・ウルリヒ(1691年 - 1734年)
*エリーザベト・ジビュレ(1693年 - 1694年)
1695年2月4日にハンブルクにおいて、オストフリースラント侯エンノ・ルートヴィヒの娘ゾフィー・ヴィルヘルミーネ(1659年 - 1698年)と3度目の結婚をし、間に娘を1人もうけた。
*アウグステ・ルイーゼ(1698年 - 1739年) - 1721年、ザクセン=ヴァイセンフェルス=バルビ公ゲオルク・アルブレヒトと結婚
1700年12月6日にギュストローにおいて、メクレンブルク公グスタフ・アドルフの娘ゾフィー(1662年 - 1738年)と4度目の結婚をしたが、間に子供は無かった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「クリスティアン・ウルリヒ1世 (ヴュルテンベルク=エールス公)」の詳細全文を読む




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